あの日みんな、普通の日を過ごすつもりだったのに。
2011.03.28 Monday震災の起こる前日の夜、私は新宿の高田馬場にいました。
仲間のパーティーイベントに参加していました。
ご招待をして頂いたので、なるべく早い時間に行きたかったのですが、
中盤くらいからの参加になってしまいました。
高田馬場に向かう電車の中、私はものすごく嫌な気持ちでいました。
普段からあまり不安とか嫌な気分とかになることはないのですが、
理由がわからない嫌な気持ちがありました。
まるで自分の心が真っ暗な深海に浸っているような気分でした。
それは2、3日前からあったのです。
「よくわからないな」
パーティーイベントは本当に楽しくて、仲間に感謝しています。
帰りは主催の優秀な彼に送ってもらいました。
途中でファミレスに寄って、真夜中の時間を過ごしました。
そのときには気分はまぎれ、比較的落ち着いていたと思います。
翌日、3月11日。
朝から動いていた私は、今夜は用事がないからゆっくり休もう、と思っていました。
ゆっくりできることが楽しみでした。
しかし、あの時間を境に、日本は変わってしまいました。
私は一人で外にいたので、慌てて車に抱きつき、
立っていられない揺れから身を守りました。
震度6の揺れは想像以上でした。
何もかもが揺れた世界は、恐怖の他はありませんでした。
緊急放送やサイレンが聞こえ、多くの人々が退避しているのを見ました。
これは何かとんでもないことが起きた気がする、と思った私は、
もしかして両親がいる静岡かもしれないと思い、
揺れがおさまる前から何度も両親の携帯に電話をかけました。
早い対応だったので、比較的すぐにつながり、大丈夫であること確認し、
何が起こっているのか情報を得ました。
あの瞬間、本当に揺れがおさまると同時に、
道路の異常な混雑、あらゆるお店の閉店、警察官、通行止め、止まった電車、
降りたままの遮断機、緊急車両、強い余震などがはじまりました。
どうなってしまったのだろう。
私は私としてやることがあったので、家に帰ったのは翌日の朝9時でした。
大渋滞の中にいるとき、都内から大勢の人が歩いて帰っていきました。
家の中は散乱していました。適当に片付けをすると、寝ました。
とにかく眠たかったです。
現実を知るには、準備ができてなかった。
その後が、今日に通じているわけです。
ニュースで東北地方で起こったことを知り、
胸が張り裂けそうな気持ちになりました。
東北地方や関東の人々、私も含め、みんなが普通の一日を過ごすつもりだったのです。
いつもの日を過ごすつもりが、いつもの日ではなくなってしまいました。
被害に遭われた方々のことを思うと、胸の奥底から震えてきて、
涙が出ます。
みんなで支え合って、復興させていきませんか。
端的ではなく、長期的に何年もかけて、支え合っていきましょう。
ありがたいことに世界の国々が協力してくれています。
そのことに感謝して、私は私ができることをやっていこうと思います。
全ての方が、衣食住に満ち、笑顔で楽しく生きていけるように、祈っています。